『日本国憲法』の起草について。明治時代の初憲法の制定時に存在していました。

2016年2月4日、国会予算審議にて、安倍総理が、現行憲法について、「GHQの占領下に僅かな短期間でつくった憲法」とのご主張を繰り返していましたが、事実に反する誤りです。

近年、新聞報道された処では、皇后陛下さまが開催された皇室保管の日本の憲法草稿の展示紹介にて、明治時代の日本初の憲法制定当時に、伊藤博文らが押した『大日本帝国憲法』の他に、候補案が複数存在し、終戦後改定された現行『日本国憲法』の原型と目される近似内容の条文が、既に起草され存在していたことが示されています。

日本へのキリスト教伝播の公称は、1549年、イエズス会宣教師 フランシスコ=ザビエルの来日布教以降とされていますが、キリスト教及び、世界的に古くより広く支持されている仏教、イスラム教などの宗教には、おおむね共通して、愛や平等、平素の節度節制などが説かれており、信仰形態に個性差はあれ、教義の主旨は民主主義の思想母体となる社会真理です。

中国大陸における思想例では、中国古来の諸子百家の一つ、孔子に始まる政治道徳学「儒学」は、儒家が乱世の社会統制に寄与し礼制を普及実践させましたが、「儒教」の教義は、仏教、老荘思想など他教に哲理面でおくれ、宋代に「宋学」が興って深化し、特に「朱子学」として集大成され、更に後の世に体制教学化するにつれ、明代中葉以降、王陽明を始め朱子学の批判修正を経て多くの儒家による学理上の研鑽革新が続き、清末の「共和思想」へ及んでいます。

日本には応神天皇の御世に百済より「論語」が伝来したと称され、「儒教」が社会へ伝播したのは江戸期以降ですが、封建体制下に「儒教」で重視した礼節、軍規の厳守、組織の「上意下達」方針が長期にわたり徹底された後、ペリーの黒船来航を受けて開国にいたり通商上の「不平等条約」の締結、幕末の倒幕思想「攘夷論」「尊王論」が発生、幕末の財政の行き詰まりに提唱者の多くは財政的観点から『征韓論』を提起していましたが、維新後に『富国強兵』政策が提起され、国家君主を神格に掲げた神道との合流から「国粋主義」が台頭し、右傾の極化が進みました。

論拠は別述しますが、『富国強兵』政策は、『大東亜共栄構想』をかざしての世界征服に向けて、日本を暴力主義に傾倒させ狂わせた元凶です。弱者困窮者に対する蔑視を促す根源的な価値観となるもので、不健全と言わざるを得ません。この政策は、敗戦後の民主主義の見地による社会資本的な産業振興を謳うものではなく、『征韓論』が右傾化した「軍事侵攻」「侵略戦争」を推進したものです。

江戸幕府の鎖国政策中にキリスト教が禁止弾圧されましたが、民衆の間では隠れキリシタン村や里に信者が生息し、また、仏教各派の宗教信仰の進展もあり、自由平等という民主主義の母体思想は日本国内に存在していました。

明治初期、神格君主制の軍国封建社会を理想とし実現をめざした伊藤博文らと、対立的な民主社会の実現の推進派も少なからず存在しました。江戸期には、徳川幕府は、各藩の大名に地方自治を認めていましたが、維新後、伊藤ら薩長藩政では「版籍奉還」の名目で地方自治権を損ない、中央独裁の国体敷設を推進し、士族の不満が募り反乱の紛争が日本各地で勃発し、日本全土が混乱に陥りました。

幕末維新の中、そもそもの国会の開設は、1874年(明治7)、板垣退助らの「民撰議院設立建白書」に始まる自由民権運動の高まりから実現したものです。

民権党 - 民権の拡張維持を主義とする党派 : 明治初年、板垣退助らの一派が土佐で立志社を設立したのが初め。

1894年(明治27)「日清戦争」以降、伊藤の指揮による大日本帝国軍の他国への侵攻が始まり、1945年(昭和20)、一旦、敗戦降伏しましたが、日本国家の暴力主義にもとずく「戦争」は終結していません。

日本の政党政治史における民権党の受難は、終戦後の『日本国憲法』制定まで顕著に続き、大逆罪などで処刑された社会運動家は数々あり、平和主義の反戦運動家は処刑され投獄されました。民主主義の確立は程遠く道半ばです。

敗戦を契機に、日本は、70年ほど国の憲法に「9条 不戦条項」を掲げ、直接の戦闘参加はしていませんでしたが、自民党政権による再軍備が進み、昨年2015年、「集団的自衛権(交戦権)の行使」立法、来月3月に施行予定が迫っています。

かつての大日本帝国による他国への軍事侵攻には、内政の混乱を士族の不満を海外へむけさせ統率しようと、道義に外れた見地から突き進んでゆき、当時、伊藤らと対極的思想主義の大井憲太郎などが侵攻の阻止を図り「大阪事件」に至っています。

1955年結党以来、日本の長期政権党「自由民主党」は、数々の大罪を累犯していますが、最たる罪過は言語破壊と言えましょう。施政における虚偽の喧伝はなはだしく、政党名からして「自由民主」とは虚偽も甚だしく、敗戦後、日本の自民党ほど「自由民主」思想と掛け離れた政治政党はありません。不義不実につきる権謀術数主義、公に私に人命を大量に損なっており、自民党政府のウソに混乱している日本人は少なくはなく、自民党の所属党員は「殺人」について罪の認識のない錯誤者と考えます。『殺人特権』思考者も少なからず見受けていますが、軍事攻撃による殺戮の先に何を夢想しておいでか、ご自身でよく考えてください。追ってお答えいただきます。

国民に殺人を強制し、他国民の生命も自国民の生命も強奪し、それで、あなたがたは、どうするというのですか?

2015年9月可決の安保法制は廃止ください。 あなたがたは大量殺人を企図したに過ぎず、極刑至当の大罪です。日本国を滅ぼすのみならず、日本の為政者次第で救われたはずの命を死なせ、必要な策を悪質な故意から採らず無効な偽善を重ね、職務の放棄怠慢において、日々刻々現実に殺人の罪を累犯しているものだ。

誰が裁く訳でなくとも、詭弁を弄して偽っても、真理には変わらない。

安倍自民80万人余り、うち半数40万人ほどは反対しているという噂ですが定かではなく、党員は在党する限り組織の一員として政策を推進するものであり、現在の自民党のすべての所業は、結党目標「戦争再開」実現のための偽善に過ぎない。

憲法9条は護守すべき玉条であり、これを廃する政党には速やかな「解党」以外に選択肢は在りません。選挙用の政策を毎回更新していると嘯いても、大本の結党目標は「解党」しない限り変わることはない。暴力主義と権謀術数、犯罪三昧に『人を殺し殺される国』づくりが進むだけ。国民の人命は使い捨ての道具、「ひとごろし」の傀儡君主を掲げた内閣大臣が亡国の悪計をすすめるために。

宗教思想史の補足: 弥生文化人の列島移住前、先住の縄文文化人が「八百万神信仰」の母体となる「精霊崇拝」「精霊信仰」の文化を持っていたらしいこと、また、西洋方面にも精霊を祭る風習「Halloween ハロウィン(万聖節前夜祭)」という西洋の風習があったそうです・

投稿者:

武井 直子

◎ 1965年(昭和40年)6月28日神奈川県鎌倉市生まれ。血液型 Rh+A型(遺伝子型ao)。本籍 山梨県都留市(旧 南都留郡三吉村)→千葉県大網白里市(2016年7月現在、同3月に本人の知らない内に親族が現住所へ移転していた為、他日、誤移転を訂正する予定でおります)。千葉県大網白里市(山武郡大網白里町)在住。北海道で保育園に通所、神奈川県横浜市へ居住後、千葉県山武郡大網白里町へ移入。大網白里町立大網幼稚園、同大網小学校、同大網中学校、千葉県立長生高等学校卒業。大学は入学辞退2校、除籍処分1校。1980年(昭和55年)9月外傷以降色々あり現在も病養中。2014年(平成26年)6月より国政抗議活動、同8月政策提言活動を始め、同11月より個人企画「平和党」をなのり国会議員就労志望、議員当選なし。支持政党は日本共産党、生活の党、社民党、民進党、おおさか維新の党、民権9条護持派を支持。

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