大日本帝国軍《 伊藤博文 》の開戦流儀  《 奇襲 》 - 殺戮のための殺戮

《 大日本帝国軍 》による《 奇襲 》手段による開戦。なんのための襲撃だったか、なんのための殺戮だったか、どれほど世界を震撼させる重大犯罪だったか。或いは当の日本人自身だけが分かっていないのかもしれません。

1977日本の公立学校 教師授業「昔の馬に乗って槍や刀で闘っていた戦国時代には、イクサといっても、やあやあ、われは、どこのくにのなにべえで、先祖が代々なにをして、って、合戦の口上を長々とよみあげて名乗りあって、敵味方全員が揃って準備が出来てから合戦が始まったから、のんびり悠長にしていられたけど、原子爆弾やミサイルが発明された現代の科学文明の社会では、戦争っていうと、もう、飛行機に乗って戦う飛行機同士の航空戦の時代になる。核ミサイルをボタンスイッチひとつ押して発射すれば、大きな都市が、住んでいる街の建物や大勢の住人も、みんな、ぜんぶ、一瞬で吹き飛んでしまうから、科学技術が進歩した現代では、昔の刀で切りあいしてた頃のように、名乗りなんか上げてるような余裕はどこにもない。明治維新の頃には、もう、世界は、自分が何処の国の誰で、なんて、言ってる間に、ミサイルを打ち込まれて、国が吹き込んでしまう時代になってしまっていた」「日本のような小さい資源の乏しい国で、ソ連や、アメリカや、中国や、広い大陸の国土をもっている大国と、戦争なんかしても、とうてい敵いっこないって、初めから勝ち目なんか何処にもないって、日本人でも思っていた国民もたくさんいた。世界のよその国は、黄色人種の日本人をサルだといって馬鹿にしていたし、日本の国も貧しい小国だと馬鹿にしていた。江戸時代の終わりに日本を植民地にするために軍艦で脅しに来ていた欧米列強は、何処の国もみんな資源も豊かだし、戦闘機を飛ばす燃料を幾らでも持っていた。だけど、明治維新を起こして日本の政府をつくった伊藤博文たちは、日本を欧米列強の植民地にしてはいけない、日本の独立を守ろうと、産業を興して、兵士を鍛えて、近代式の軍隊をつくって、国を護って戦って戦争をした。日本の国民を欧米の奴隷にしてはならないと、死を決意して命がけで頑張った。明治維新の薩長藩士が頑張っていなかったら、今、日本では、もう自分たちの日本の文化なんてぜんぶ無くなっていた所だった。みんなが毎日話してついかっている日本語は、植民地支配されたら、しゃべると殺されてしまう。支配国の外国語しか生活に遣えなくなってしまうという、他に本国のある支配者の属国にされて植民地にされてしまう、支配を受けるというのは、たいへんなことなんだ。自分たちの国の王様や言葉や生活の風習や文化という社会のすべてが、取られてしまう。戦っても勝ち目なんかないから、命を助けてもらえるなら、列強の要求に応じて植民地になってしまえばいいという人までいたけれど、総理大臣の伊藤博文や日本軍の士官たちだけは、日本の国を命に代えても護るんだといって決死の覚悟で国を護って戦ったんだ。国民たちは冷や冷やして戦勝を祈って見守っていた。伊藤たちが敗れれば、もう自分たちも日本人全員が殺されるだけだった。強大な敵を討ち果たすために、伊藤が採った作戦は、相手がまだ寝込んでいる内に早起きして、油断している所をやっつけるという、知恵を使った頭のいい攻撃で、作戦勝ちだった。まさか日本が勝てるとは、自分たちが助かるとは誰も考えていないような日本の危機だったから、日本中の初戦勝の喜びは大変なものだった。囲碁や将棋でも『先手必勝』って言うから、みんなも聞いたことがあるかもしれないけど、これは、日清戦争の日本軍の総指揮官 伊藤博文の武勲をほめたたえて、その後、世界中でみんなが言うようになった。相手が大国で強くても、知恵を使って作戦を練って、相手が油断している不意をつけば、日本のように弱くて小さな国でも勝てたと、アタマを使えば弱くて小さくても勝てるんだって、世界が初めて知った奇跡的な勝利だった。世界中で、日本のような小さな国が勝てる訳がないと冷ややかに見ていたから、、日本の伊藤博文はすごいと、日本の初めての戦争の勝利で伊藤博文の知恵が世界中の評判になって知られて、日本の伊藤はすごい、奇襲なんて何処の国も思いもよらない名案名作戦だと感心された」「戦争というのは頭脳戦なんだ。これからはアタマの時代だから、体ばかり鍛えても勝てない」(略)。

 

こんな嘘を吹き込まれて、まともな人材が育つ道理があるはずがないと、ものを知れば判断がつくでしょうが、教師の「虚構」を真に受けた児童がいたとしたら大問題なのです。当時、教師が語る《 国、日本政府の方針 》に対して国民が抗議していたという話は聞きませんでした。小学校6年でも個人差はあるでしょうが、私は予備知識が無かったので、聞いて即座に、教師の授業が丸っきりの真逆の趣旨で、真っ赤なウソであるとは、判断できませんでした。「授業」「先生の話」として覚えてはいましたが、学校の授業が事実に反する嘘八百だったと知った瞬間には、日本という国に愕然と恐怖や違和感を覚えました。

日本国の貧しさは、国土の狭さ、資源の乏しさ、経済の未発達など物質的貧困の事実もあったでしょうが、物的貧困以前に、為政者の無思想、思考の貧しさ乏しさ、心根心栄えの未発達だったと思います。

アメリカのホラー映画に『13日の金曜日』という作品があります。”ジェイソン” という、アイスホッケーの仮面を付けて、「人相」「顔」という個人の人格を喪失している不審者(殺人鬼)が、チェーンソーを凶器に、ボートハウスでキャンプ中の若い男女たちを襲い、ひたすら殺しまくる、という映像です。ストーリーらしいストーリーがあるわけではなく、ひたすら殺して、殺して、殺しまくる。若い男女たちは、恐怖におののきながら、ひたすら逃げて、逃げて、逃げて抗う。

何処の誰が、何故、何の目的で、何のために、殺すのか?

無機質な ”ジェイソン” には、感情の存在すら見受けない。

”ジェイソン” は、かつて『真珠湾攻撃』を行った ”大日本帝国軍” の像ではないか、両者の酷似について考えずにいられません。

私は、戦後生まれで実戦を体験している訳ではなく、昭和13年、14年生まれの父母がたまたま戦時下を生きながらえ、私を産んでもらうことが出来ました。文献類を聞き知る限りで考えていることです。

『真珠湾攻撃』は、周知のとおり、大日本帝国軍総指揮官 伊藤博文公以降、東条英機首相の総指揮による太平洋戦争の開戦まで常套踏襲された「奇襲」、相手の寝込みの不意をつく不意打ちの一方的集中攻撃の手法です。「卑怯卑劣」「不可解」に尽きる殺戮であることは言うまでもありません。「不意打ちは卑怯」「不意打ちは卑怯ではなく油断が落ち度」、あなたはどう思うだろうか。相手の殺害を始める前に、要求事項を事前通告する訳でなく、協議課題、係争事項の存在すら疑われる殺戮。住人を皆殺しにして、領土を強奪するための国を挙げての押し込み強盗行為だったものでしょうか?

先方には襲撃理由も不明のまま、とにかく住人を襲い、殺して、殺して、殺して、殺して、ひたすら殺した殺戮の先に、いったいどのような展望を夢想し描いたのか。

1941年12月7日(日本時間8日未明)、大日本帝国による『真珠湾攻撃』の後、1945年8月14日、同、『ポツダム宣言』受諾、降伏。

『サンフランシスコ講和条約』への調印で、侵攻先諸国の皆さまに日本への反攻を停止いただくご了解をいただき停戦にいたりましたが、当時、開戦責任を問われた要職者の中に、正義正当の自衛戦闘と主張し侵犯戦争ではないと主張した者があり、再軍備を進め

連合軍が日本を占領の預かりとし、戦争犯罪の再犯を防止するための方針を講じていました。

投稿者:

武井 直子

◎ 1965年(昭和40年)6月28日神奈川県鎌倉市生まれ。血液型 Rh+A型(遺伝子型ao)。本籍 山梨県都留市(旧 南都留郡三吉村)→千葉県大網白里市(2016年7月現在、同3月に本人の知らない内に親族が現住所へ移転していた為、他日、誤移転を訂正する予定でおります)。千葉県大網白里市(山武郡大網白里町)在住。北海道で保育園に通所、神奈川県横浜市へ居住後、千葉県山武郡大網白里町へ移入。大網白里町立大網幼稚園、同大網小学校、同大網中学校、千葉県立長生高等学校卒業。大学は入学辞退2校、除籍処分1校。1980年(昭和55年)9月外傷以降色々あり現在も病養中。2014年(平成26年)6月より国政抗議活動、同8月政策提言活動を始め、同11月より個人企画「平和党」をなのり国会議員就労志望、議員当選なし。支持政党は日本共産党、生活の党、社民党、民進党、おおさか維新の党、民権9条護持派を支持。

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